誰にでも言える秘密の話

東京 大学生 文学部 20歳 男 短歌、エッセイ、小説、詩

倫に生きる

出産予定日は3月3日だったらしい。

 

しかし予定というものは大抵崩れるものでその2日前、奇しくも109年前に芥川龍之介がおぎゃあと言った日に私も同じことをすることになる。おぎゃあ。

 

同じ誕生日であると言うだけで意識するというのはこの日本を代表する作家に失礼かもしれないがよく自分の同い年だった時の彼を思い出す。つまりは成人直前の彼はどんな面持ちでいたのだろうか、と。

 

彼の人生を見てみると18歳の頃には学業の優秀さを認められ第一高等学校に無受験入学をしている。第一高等学校は東京大学教育学部の前身であるということを考えると、彼は東京大学に推薦で通ったということである。その時点で負けていることはお察しするべきなのかもしれない。

 

しかしこの時点では彼の彼たる所以を発揮してはいない。彼の代表作『羅生門』が発表されたのは1915年、彼が23歳の頃である。

 

つまり成人直前の彼は第一高等学校で菊池寛などと執筆活動をしながら『新思潮』などの立ち上げを模索する時期だったに違いない。

 

この夭折の天才の19歳というのはどんな感受性を持って、どんな思想を持って生きてきたのだろう。そしてそんな彼に109年も経った私の感受性は、世界を捉える目は太刀打ちできるのだろうか。

 

そんなことを考えるのである。

 

芥川龍之介は1927年、35歳の年に服毒自殺をする。ということは私と彼との追いかけっこは35年で終わるのだ。もっとも私が先に死んだら35年よりも短くなることになるのだが。

 

追いかけっこというのは憧れを追い続けるのも一興だが、追い越してみるのも悪くない。タイムリミットは残り15年となった。さて私の感受性がどれだけ鋭敏になり彼のそれを対抗しうるか。3割の恐怖と3割の高陽、そして4割の、4割の何かがある。その何かを考えていたら思いの外多くの過去と出くわしてしまった。こういったところでエラーが起きるのも私らしいのかもしれない。

 

 

話が変わるが私の地元の風習に「名前に動物の名前を入れてはならない」というのがある。その動物に自分が名前負けし、動物が自分を食べてしまうからだ。辰年、辰月、辰日、辰の刻に生まれた龍之介も自身の名にある龍に存在を食われしまい、自殺してしまったのかもしれない。

 

私の名前は倫生という漢字を書く。これでともきと呼ばせるのも珍しい。名前とは祈りだ。一生背負う十字架でもある。倫という漢字は実はたくさんの呼び方がある。「とも」や「みち」がそれだ。

 

 

倫は人が守り修めるべきみちという意味がある。それと同時に人が守り修めるべきものが何かであるかも倫という漢字は収容している。

 

それは「とも」だ。生まれながらにして孤立せざるを得ない人間が繋がりを持とうとしてできた集合体。無償の愛と献身的な信頼によって成り立つのこの関係性を、私は美しいと思う。

 

だから私はこの名前の「倫に生きる」という呪いにも似た十字架を一生背負っていこうと思うのだ。

 

友の為に生きていく。そうしたら共に歩んでくれる友がいる。

 

 

これこそが「倫の道」である。

 

芥川龍之介に勝ちうる可能性がある私の4割の感情の何かであり、世界を捉える目であった。

 

もうすぐ秒針は1周するだろうか。2021年2月28日23時59分50、52、53…

 

 

 

 

 

あと15年だ。