誰にでも言える秘密の話

東京 大学生 文学部 20歳 男 短歌、エッセイ、小説、詩

煙で前が見えなくなった

ゴダールの映画「気狂いピエロ」においてサミュエル・フラーは本人役で「映画とは何か」という問いに対してこう返す。


「映画とは、戦場のようなものだ。愛、憎しみ、アクション、暴力、そして死。要するに、エモーションだ。」


私はこの言葉が好きだ。それと同時にこの言葉は脚本を描いたゴダールサミュエル・フラーに言わせたものか、それとも彼の本心なのかが気になった。

なぜならその言葉のあと、この「気狂いピエロ」はこの言葉を沿うようにして展開されていく。

それがとてつもなく綺麗だなと思うのだ。


最近、映画を見るようになった。フランスの映画が多いが、いわゆる傑作と言われる作品、名監督と言われる作品が多い。

傑作とはなんだろうか。私は勝手にこれを「期待の地平を超えるもの」というふうに考えている。

当時の人々の固定概念や固定感情などの期待を超えるもの、それが傑作なのではないか。そう思うのだ。




フランス語は美しい。まるで耳かきのように耳をくすぐり、時に官能的だ。

そんな役者の美しいフランス語を止めるものがある。それが煙草だ。

彼らは煙草の火をつける時、煙草を吸う時、違った顔つきになる。

私も煙草も吸う時はそんな顔つきになるのだろうか。




映画を見ていて気になったので煙草とマッチを買って吸ってみた。

マッチに火をつけてみると蛇のように火は身をくねらせていた。

火には不思議な魅力がある。全てを壊してしまうのではないかという妖しさと全てを壊したいという衝動が中に内在しているように感じる。



煙草に火をつける。昔は息を吸いながらでないとつかないということを知らず悪戦苦闘したものだった。

吸ってふと思った。煙草に火をつけるという行為は現実を現実では無くすのではないか。

一人で夜、煙草を吸うとまるで往年のジャン=ポール・ベルモンドになれる。アンナ・カリーナになれる。

自分が現実から非現実へと離れ、映画の世界へ片足を踏み入れたのではないかと錯覚する。




そんなことを思いながら大隈講堂で煙草を吸って苦笑した。

馬鹿は煙が好きだ。



そしてその時、私は間違いなく馬鹿だった。