誰にでも言える秘密の話

東京 大学生 文学部 20歳 男 短歌、エッセイ、小説、詩

2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧

雪の日の思い出

先日、東京では雪が降ったそうだ。 私の部屋のカーテンは一昨年の入寮日に閉めて以来開いてないので雪が降った現場を見ておらずあくまで伝聞になってしまうのだが。 雪は好きではない。雪の上を歩いた際に長靴に流れ込んでくる雪がなんとも居心地が悪い。靴…

鶴巻町の恋

最近、引越しのために物件を探している。 本来なら9月くらいに終わらせなければならないものをどうやら今やっているらしいのだが、やり方が気に食わない。 自分の希望を押していくと、その条件の物件がズラリと並ぶのだ。 この効率的なやり方がまるで婚活に…

煙で前が見えなくなった

ゴダールの映画「気狂いピエロ」においてサミュエル・フラーは本人役で「映画とは何か」という問いに対してこう返す。 「映画とは、戦場のようなものだ。愛、憎しみ、アクション、暴力、そして死。要するに、エモーションだ。」 私はこの言葉が好きだ。それ…

脳みそを食わずには生きていけない

「パリは脳みそのフライを食べて生きているのです」 一度聞くと思わずギョッとする言葉である。 こういったのはフランスの小説家、バルザックであった。 彼は多作の小説家であったが、もちろん産みの苦しみというものを体験している。どうしても文が生まれな…

僕の人生は幸せに向かって歩いている

これは誰かに対してのメッセージ 独白でもなくメッセージなので一人称は僕でもいいだろう。 人生で辛かったのはいつだろう。実はもう一人兄がいて僕が産まれる前に死んでいたと知った時だろうか、母親が新興宗教にハマって経典を体を巻きつけて祈っているの…

どこまでも青い自分とどこまでも赤いあいつ

人生の転換期は高校二年だったと思う。 自分の意思で東京へ行き、学生団体を作り、初めての彼女が出来た。 この字面だけ見てもやはり高校二年生の時の密度は濃い。しかしその中でも1番の比率はやはり学生団体だった気がする。 学生団体を作った時の友人とは…

成人式

今日は成人式らしい。 まだ私は19歳なのに成人になる覚悟を決めろと言われるらしい。 それはあまりにも酷だなと思った。 成人になる事は目出度いことでも何でもない。もう庇護下にはいれないということだ。責任を持つということだ。死に一歩近づいたというこ…

缶コーヒー

こんな寒い日には午後の紅茶が飲みたくなる。 高校二年生の冬、決まって休み時間は友達と自販機へ駆け出していた。 教室から遠くに設置されている自販機へ駆け出していくのは飲みながら残り僅かな時間、2人で何かを語りたかったからであった。 彼はいつも決…

スタンプカード

昨日の夜、LINEが来た。 と言ってもよく分からないお店の公式LINEだった。 既読を何となくつけてみると、新年営業を開始しましたという旨のLINEであった。そのLINEをしてきたお店の名前を見た時、まるで紅茶に浸したマドレーヌを一欠片口に含んだ時のように…

天使

いつからか普遍的なものに憧れを持ち始めた。 いかなる時でも絶対的に自分を崩さないという自己完結性を見て自分との差に打ち震えた。 だからこそ普遍的な存在になりたかった。 将来の夢はなんですかとよく聞かれる。親によく将来の展望を聞かれる。 将来は…

グラデーション

昔からグラデーションを見分けるのが苦手だった。 どっちの色が濃いのかと言われた時にそもそも「濃い」とは何なのかについてがわからなかった。 中学2年の時に色覚異常ですねと診断された。 その時は何も思わなかった。高校生の時、自衛隊に憧れていた。 私…

世界の半分

秋学期に「青くて痛くて脆い」という映画を見た。正直そんなに期待はしていなかった。 映画館に入る口実が欲しくてその口実にそれなりの名前のものを選んだに過ぎなかった。 見終わった後、主演の吉沢亮の気持ち悪さに感動を覚えていた。 人生の勝ち組にしか…

49日

祖母が初めて倒れたのは確か高校2年生の頃だったと思う。 寮にいた私に母親は電話で大丈夫だけど覚悟をしておきなさいと言った。 長期休暇に入院している祖母に初めて訪ねたのは12月のことだった。 病院であった祖母は少女のようであった。どこまでも無邪気…

老衰

恥ずかしい話だが、春学期に小説を書こうとした。した、ということは完成することはなかったのだが。 タイトルは「老衰」 屈折した男の話を予定していた。 恋愛観の屈折した男の話だ。その男は恋愛に性欲が混ざり込むのがどうしても許せなかった。恋愛は神聖…

年賀状代わりのようなもの

あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いします。 喪中なので年賀状は出せませんが、こちらの方で皆様に新年の到来をお祝いしたいと思います。私の好きな小説家である池波正太郎は春には来年の年賀状は刷り上がっていたようです。そこから12…