誰にでも言える秘密の話

東京 大学生 文学部 20歳 男 短歌、エッセイ、小説、詩

エンドロール

人生で何度のエンドロールと出会ったか分からない

昔は映画のエンドロール中に退室するタイプの人間だった。
単純に訳もわからない文字列と音楽を聴き続ける時間が苦痛だったから。


椅子に深く腰掛けてエンドロールを見つめるようになったのは2013年7月29日。

風立ちぬ」という映画を見た時であった。

衝撃的だった。映画が終わり光が戻ってみんなが退席する。その時になってようやくああ僕には退席するという手段が残っているんだなと砂嵐混じりの頭で考えたくらい。


エンドロールってそれまでの物語をゆっくりと思い返す数分間だと思う。
そして物語へ入り込んだ思索の世界から表面世界へ浮上するための時間だ。

それではエンドロール自体には何も意味がないのかと言われればそれは違う。
エンドロールにも面白さはある。一つの映画、一つの物語にどれだけの人が関わってくれたのかを再認識できる。
どれだけ端役だったとしても丁寧に名前をつけてくれる映画は優しいと思う。主人公の視界を隠すように歩く通行人の役でさえも物語には必要なのだから。

エンドロールは悲しい。BGMがどれだけ激しい曲だったとしてもそれは寂しさの旋律だ。
もうそろそろエンドロールは終わるのかもしれない。いや関わってくれた人は思いの外多い。思い返す人は、思いの外多い。



エンドロールは鳴り止まない。