誰にでも言える秘密の話

東京 大学生 文学部 20歳 男 短歌、エッセイ、小説、詩

3月のライオン

昨日、『3月のライオン』をみた。これは将棋漫画の方では無く、1992年に公開された恋愛映画の方である。

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まずこのポスターの顔の表情が好きだ。消えていくんじゃないかという淡い表情と半分まで食べたアイス。この表情の理由は映画を見ていくとわかることになるのだがとりあえず先に進もう。

この映画は「愛が動機ならやってはいけないことなんて何ひとつ、ない」というキャッチコピーであった。
実際とても良かった。

あらすじとしては兄ハルオのことが好きな妹アイスはハルオが事故にあったことをきっかけに記憶喪失になったことを知り、記憶が戻るまで彼の恋人になることを決意するというものだ。

話を聞けばわかる通り、この恋愛は最初から破綻していて、そのことも映画内で二人で借りたマンションの周りが解体作業をしていたり、そのマンションも夏には解体される予定であったりとその「期限付きの恋」を暗示している。

またこの恋愛はとてもシンプルだ。作品において名前があるのはハルオとアイスのみ。彼ら二人が新しく借りた部屋は中央に冷蔵庫があるだけだ。シンプルで全てを削ぎ落とし何か一つでも欠けたら崩落するような、そんな印象だった。

恋愛小説は私の大学の専門分野なので、そこから派生して少し話を脱線しようと思う。昔は恋愛そのものがショッキングで非日常だった。だからこそ恋愛を主眼にした物語というものが新鮮で文学としても成立をしていた。しかし今は恋愛が氾濫しすぎていて恋愛を背景化した上での文学が多く作られるようになった。つまり恋愛一つだけだったら物語はもはや成立しないようになったのだ。
しかし成立する恋愛も存在する。それは身分違いの恋や近親愛などの「社会モラルから逸脱した恋愛」である。こうした恋愛は最初から破綻していて始まった瞬間にそれはもう破壊されている。そこに魅了される読者もいるだろう。実際私もその一人だ。
では、社会モラルから逸脱した恋愛は二つの快感がある。ひとつは従来の恋愛に対する快感。そしてもう一つはい越えてはいけない一線を越えるという背徳感に対する快感だ。


さて物語は終わる。ハルオは記憶が戻り急いでアイスのいるマンションに戻る。
アイスはアイスバーを食べながらただならぬ形相のハルオを見て記憶が戻ったことを悟る。

それが、ポスターの顔だ。

記憶喪失以前の兄弟愛以上の感情を持っていなかったハルオは、記憶喪失以後の妹に恋愛感情を抱いている自分を知る。
どうしようもない。愛情とモラルの狭間で彼らは子供を作ることにする。これがラストだ。


破綻することが確定したまま始まった関係は破綻したまま、続く。