誰にでも言える秘密の話

東京 大学生 文学部 20歳 男 短歌、エッセイ、小説、詩

5時から7時までのクレオ

本来なら秋学期に授業で見る映画であったが私自身の怠惰のせいで欠席し、見れなかったので今更ながらに見た。感想を書こうと思う。(ネタバレも含まれているのでもしも見る可能性のある方はご注意を)

 

『5時から7時までのクレオ』の簡単なあらすじは癌かもしれないという恐怖を持つ歌手のクレオが7時の医者からの結果を待つ間の2時間で自分の知り合いと出会っていく、という映画である。

 

この映画は癌かもしれないという恐怖に怯える主人公とそれを全く取り合わない周囲の人々という構図で前半部分が進んでいく。

 

これは「自分の死」と「他人の死」の認識のギャップも勿論あり、その上でそのギャップに否応なく気づいたクレオの疎外感というものが道を歩くシーンの時にすれ違う人が皆訝しげに彼女の顔を見るという描写によって示されている。

 

最終的に彼女は公園で見知らぬ男にナンパされる。その男は彼女の死の悩みなどを真摯に聞きそれについて共に彼女の宣告を聞くことを申し出てくれる。

 

ここで他の身近な人とこの見知らぬ男の違いとはなにかという点に注目をしたいが、この見知らぬ男が軍服であること、また「今晩に帰隊する」「戦争なんかで死にたくない」という言葉を呟いているところからも明らかな通り、この男は軍人などである。そしてこの一般人と軍人の大きな感受性の違いは「死の距離感」ではないかと考える。一般人は死というものにあまり接する機会はないがアルジェリアに出兵してる男は死と濃密に接している。それ故にクレオの恐怖にも真摯に対応することが出来たのではないだろうか。

 

こんなにも死と疎外感について丁寧に扱ってきたこの映画のラストはあまりにも呆気ない。医者がオープンカーに乗りながら「癌だから明日から治療をしよう」といって走り去るのである。これもまた現実らしくていい。結局医者自身もそんなにクレオの死には興味が無く、しかし前半とは違いクレオは男との出会いで自立したのでそれに対して特に大きなショックもなく受け止めることが出来るのだ。

 

 

ここまでは筋の話をしたが、映画の感想なのでキャメラテクニックの話も少し触れておこう。

 

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これはクレオが付き人に癌であることを慰められているシーンだが、彼女らの後ろに鏡を置くことによって鏡の中に心配している人々を置いているのだ。これは実在が「約束」されているものの実在しているかどうかが不安なものとして捉えられる。これはこの心配をしていることは事実なのだが、

 

その心配に「鏡」というフィルターをつけることによってその他者の心配というのがクレオの意図したものとは障壁が存在しているということを表しているのである。